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アニメの考察・感想日記

映画『夏へのトンネル、さよならの出口』の描写考察

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はじめに

※注意※ この記事は考察・感想を主軸に取り扱いますが、一部ネタバレが含まれます。

映画「夏へのトンネル、さよならの出口」を観てきました。公開初日と公開翌日の舞台挨拶(梅田ブルク)を含めていつの間にか合計5回も鑑賞していました。

公開2週間足らずで5回も観た映画は夏トンが初めてなんですよね、自分でも驚きです。

僕は普段プログラムを書いてる人間なので文章力には全くの自信がないですが、この高ぶる気持ちを文字に代弁してもらおうと思ってブログに書き留めることにしました。

実は、夏トンの漫画版は最終話まで読んだことがあって、とても面白かったので、映画のプロモ映像を初めて見た時は、心底わくわくがたまりませんでした。なので映画夏トンへの期待度は異常に高かったです。

ちなみに小説は未読なので三日連休を使って読もうと思います。(八目先生ごめんなさい...。)

 

本題

もう、田口監督ワールド全開だなという印象でした。

冒頭から二つのモチーフを観客に与える演出

キービジュにも描かれているようにウラシマトンネルは夏トンを代表する一つ目のモチーフです。脚本最初の台詞でキーワードを観客に与えることで観客を一気に引きつけます。引き込む脚本が逸脱です。

裏を返せばそれほど重要な役割を担う台詞なので、きっと声優さんは何度も練習してくださったと思います。おかげでその瞬間から僕らの意識は完全にスクリーンの中です。

続けさまに敢えてピンボケで映る花火を背後に遠くに映る少女、夏トン二つ目のモチーフの登場です。

カオルの目的である「妹のカレンをもう一度この世界に取り戻す」、そのための手段である「ウラシマトンネル」。この二つの要素を開始直後の数十秒の尺に出してくるわけです。脚本が強い。

 

主人公の登場と合わせて三つ目のモチーフを観客に与える演出

このシーンでは、冒頭の台詞から暗転させ、主人公カオルを登場させます。ここで夏トン三つ目のモチーフの登場です。

カオルがビニール傘を開く一瞬間、ビニール傘を開くまでカオルの背後を写していた視点は、ビニール傘にアップした視点に切り替わります。カオルが持つビニール傘がキーアイテムだと教えてくれるわけです。

ここで「ウラシマトンネル」「カレン」「ビニール傘」と三つのキーワードが揃いますが、ビニール傘は何のためのものなのか、あるいは何かを代替描写しているのかはここでは明らかになりません。映画オリジナルのモチーフです。本当、わくわくさせてくれますよね。

下校途中にカオルが身につけているミュージックレコーダーは、見るからに年代物なので2000年代くらいかなってなんとなく時間軸が伝わってきます。ここで流れるeillさんのOP曲『片っぽ』も雨の描写に合っていて、このシーン気に入ってるんですよね。

あと、まぁ、個人的な趣味なんですが、カオルが高架下を抜けるときにビニール傘を狭めずに、開いたままちょっと倒して歩くところがアンニュイ男子校生っぽいというかカオルっぽさが出ているシーンでイイんですよね〜。

 

片っぽ

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幸崎駅とアナウンスと雨を舞台装置として利用する

このシーンでは誰にも共感されなかった気持ちを二人だけが分かり合えた瞬間を、あんずの表情にのせて、二人の世界を表現していると思います。

このやりとりは劇中後半にも出てくるわけですが、初対面の場面の天候は雨。香崎駅とアナウンスに加えて、天候を借りて無生物によって場面の意味を込めているんですよね。

余談ですが、雨に濡れたあんずの毛先が藍鼠色になっていて、めちゃくちゃ素敵な配色でした。

 

向日葵に意味を持たせる

アバンが終わったあと、カオルの実家に咲く向日葵が映ります。

田口監督は心理描写・代替描写のモチーフに「向日葵」を多用されています。舞台挨拶で田口監督がおっしゃっていたように向日葵の花言葉は「愛情」「誰かを想う気持ち」です。

例に漏れずこの差し込みシーンでも代替描写の意味が当てはまると思います。カオルが家出した時のように父親の「カオルへの愛情」の描写なのか、あるいは、父親とカオルの共通する「カレンへの愛情」の描写なのか、真実は監督のみぞ知るところなんですが、僕にはカオルの父親とカオルの間には親子という切っても切れない繋がりというメッセージのような気がしました。(これは呪いか。それとも愛か。みたいな)

ちなみに、この時点でダイニングにお箸のつけられていない作り置きの料理と、お酒を飲んでスーツのまま和室に寝っ転がっている父親が映るので、カオルの父親はだらしないこと、料理や家事全般はカオルがやっていることが想像できます。

 

映画シナリオに即したストーリ構成

あんずパンチの後、原作では川崎さんとその彼氏、カオルと加賀、そしてあんずの絡みのシーンがありますが、映画では花城あんずと川崎さんとの対照にスポットを当てて、原作での絡みは大幅に省かれていました。冒頭のカオルとあんずに焦点を当てたシナリオを考えると、原作での絡みは邪魔になりますからね。納得です。

一方で、教室であんずとカオルとの傘の貸し借りのやり取りはこのあとの一週間の時系列生成とあんずとの距離感を表現するためには不可欠なので、八目先生の原作の流れを汲みながら映画オリジナルの描写を描く、足し引きがとても考えられているシナリオだなって気がします。

(田口監督も原作を改変しすぎないようにめちゃくちゃ考えられたんじゃないかな...)

 

あんずとカオルの人物描写のシナリオ構成

登場する順番はカオルの後にあんずですが、人物描写は逆転して構成されていました。あんずパンチのシーンで花城あんずがどういう人物なのかを描写したあとに、カオルの人物描写を出しています。カレンの仏壇で線香をあげるカオルが映るので、おそらく仏壇の掃除や線香は毎日カオルが欠かさずしているのかなとイメージできます。

線香をあげたカオルはイヤホンで外界の音を遮断します。カオルの人物描写です。

ちなみに、この後のシーンでカオルが発する「くそ...」は父親に対する怒りではなく、音楽を聴いていても結局自分は現実から目を背けられない気持ちによるものと推測できます。原作でカオルの感情には怒りの感情が入り込む余地がないとはっきりと書かれているので、怒りではないことは明らかです。この時点でカオルは現実を受け止めなければならないと無意識に気づき始めている、とも受け取れるんですよね。

 

道具に意味を持たせる

冒頭の下校途中と先ほどのシーンでカオルのミュージックプレイヤーがカオルにとってどういうものなのかを描写しています。

これを踏まえて、父親とカオルのシーンを見ると、カオルは自分の世界に閉じこもるための道具を失ったと捉えることができます。(「捨てた」とも解釈できるんですが、僕はこの時点ではまだ「失った」状態だと思ってます。)

ちなみに、踏切まで無我夢中で走るカオルの呼吸と息ぎれの鈴鹿くんの表現力が凄まじかったです。踏切で不気味な風が顔を掠めるシーン、よく聞かないと気づかないんですが、まだ絶妙にカオルの呼吸が深いんですよね。長距離を走ってきたことが窺えるので、カオルの家は踏切から距離があることもなんとなく伝わります。

 

一つ目のモチーフを映像で再登場させる

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ウラシマトンネル、ついにお出ましです。冒頭では台詞内に登場させることで観客のイメージに任していましたが、ここで映像として再登場させることで、印象に説得力を持たせています。

現実世界との境界の役割を鳥居に任せて、現実から離れていく時間表現を両脇の樹木に任せているようにも窺えます。映画夏トンでは「紅葉」が表現描写の要素に選ばれていますが、トンネル内の紅葉とトンネル外で舞う紅葉は微妙に異なる意味合いが込められていると思います。

余談ですが、公開翌日に梅田ブルクで行われた舞台挨拶でも田口監督がウラシマトンネルを3Dレイヤとセルを重ね合わせているみたいな変態的な発言をされていました。でも多分そこだけじゃなくて、ラストシーンでカオルとあんずがトンネルから出た時に天気雨のなか紅葉が舞っているシーン、これも舞ってる紅葉は3D表現になってると思います。

 

三つ目のモチーフに意味を込める

冒頭ではビニール傘が何を意味するのか明らかになりませんでしたが、ついにここでビニール傘は時間軸を超えてカオルとあんずを繋ぐ媒体であることが描写されます。

カオルとあんずは再会しますが、カオルにとっては一日ぶり、あんずにとっては一週間ぶりです。

 

ウラシマトンネルの恐怖心をBGMで表現する

生まれた時から香崎で暮らしてきたカオルにとっては今まで気づかなかった得体の知れないトンネルなわけで、二回目であっても恐怖心が残っているんですよね。BGMが一回目と同じというところからも窺えます。

 

わくわくする共同戦線のはじまりをあんずの動きで描写

ガラケーをガシャガシャとスライドさせることであんずの心情描写をしています。ワクワクしている表れだと思います。このシーンはあんず自身の性格描写の役割も担っていて、わくわくしているときはガラケをガシャガシャさせ、やもやしている時は足をガタガタ揺すりますし、嬉しい時は足をバタバタさせるんですよね。案外エモーショナル。

 

飛行機雲でカオルとあんずの距離感を描写

この後のシーンで飛行機雲が描写されます。一本の飛行機雲の横をもう一本の飛行機雲が猛追してるんですよね。

 

背景に物語を進めてもらう表現手法

水族館デートシーンでは、二人の表情や動きで物語を進めずに、水族館の魚の群れや魚影に物語を進めてもらうカットがたくさん使われています。カオルが「家族が散り散りになったんだ」という発言には、分散する魚の群れのシルエットで表現し、「怖く見えるかな」と問いかけるカオルの背後にはジンベエザメを一匹泳がせ、「全然」と答えるあんずの背後にもう一匹のジンベエザメを近づけてます。

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また、カオルがあんずに「怖いならやめてもいい」と言うシーンでは、構図に意味を持たせています。よく見ると、水槽の反射光を使ってカオルにスポットを当てている一方で、あんずは影に入っています。カオルが光であんずが影。でももっと注目するポイントは構図なんですよね。あんずは影に入っていますが、構図は右にいます。二人に焦点が当てられる場面では右にいる人物が主導権を握ると言うのがよくある技法なので、このシーンでは、自分は特別ではない悲観や自分が進む現実への怖さ、自信のなさを感じている反面、絶対に諦めたくないあんずの想いの強さが表現されていると思います。

 

 

映像だけで魅せる心理描写

夏祭りのシーンは待ち合わせカットから花火の穴場スポットのカットに移るまで、一言も台詞がないですが、カオルとあんずが現実の時間軸でお互いに同じ時間、同じ場所を共有している二人だけの空間が伝わってくるんですよね。

ここで初めてカオルが見せてこなかったプライベートをあんずに見せるわけですね。その後の恋人繋ぎからも二人の距離感の変化、共同戦線の意味を表していると思います。

 

カオルの目線だけで過去と現実で往来する心情を表現

カオルは仏壇の遺影のカレンと父親を交互に見ますが、これはただ見比べているのではなく、目の前の現実と仏壇の過去で心が往来してる気がします。このカットは気持ちがえぐられました。

カオルの涙は、カレンを忘れたくない気持ち、父親への憐憫を喪失した感情、カレンと過ごした香崎を出る意味がもたらす怖さ、現実を見なければならない恐れ、様々な心情の現れなんだと僕は思います。過去のカレンは生きていて、現在のカレンは死んでいる。カレンが死んでいることは理解はできているけど、受け止められていないんですよね。

 

あんずの心の中をシナリオと台詞で真正面から描写する

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これまで代替描写や人物の表情でシナリオを展開することが多かったですが、台詞でシナリオを進める王道表現が取られています。ここでは本題に入る前に迂回するあんずの心情や、あんずの中で揺らぐ気持ちを飯豊さんの声の表現に任せていると思います。カメラワークも定点になっているのもポイントだと思います。

 

象徴的なモチーフを快晴の中に登場させる

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冒頭おなじみの遅延アナウンスが流れます。

重要なポイントは、雨ではなく快晴であること、そして、ビニール傘ではなく向日葵が登場することです。

向日葵の花言葉は「特別な気持ち」。共同戦線が特別な意味を持った瞬間だと思います。

あんずの「持っていて困るものではないでしょう」の台詞の目的語は「ビニール傘」ではなく、「愛情」の暗示なんだと思います。

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二人にとっての共同戦線を二人の視点で切り取る

叫ぶ心情とメールを開く吐息と台詞、あんず自身の動作によって、あんずにとっての共同戦線がはっきり描かれます。

一方でカオルは、メールによってカオルにとっての共同戦線が描かれます。

花城あんずはウラシマトンネルに入ってはいけない人間、という文面には、これまで共同戦線を結び一緒に歩いてきたあんずと一緒にトンネルに入りたかった、でも一緒に入ることはできないカオルの気持ちが垣間見えます。

 

花言葉によって場面に意味を持たせる

場面は変わって、幸崎駅で電車を一人待つあんずが映りますが、天候は快晴です。この時点で、あんずに何らかの幸せな結末が訪れることがわかります。

あんずが泣き叫ぶシーンで「向日葵と紫陽花」のワンカットが差し込まれますが、このワンカットで大切なのは向日葵より紫陽花の方だと思います。

田口監督の作品ですからきっとこの紫陽花にも意味があるはずです。

よく見ると、差し込まれたシーンで描写されている紫陽花の色は「青」です。紫陽花の花言葉には時期によって花色が変わることから「移り気」「浮気」「無常(むじょう)」がありますが、青色の紫陽花には「辛抱強い愛情」という意味があるんですよね。

あんずがカオルから借りたビニール傘を肌身欠かさず持ち歩き、スマホが普及した2011年でも欠かさずガラケを充電している様子から、次に会えるのは1000年後かもしれないし、もしかしたらもう二度と会えないかもしれない、でも"あの日の君に会いたい"とずっと思い続けるあんずの気持ちを、この青色の紫陽花に込めているのだと思います。

その直後、物語が大きく動き、ついに副題が回収されます。「あの日の君に会いに行く」。カオルを想う感情をあんず自身の表情で描いています。走り出そうとするあんずのバックには向日葵。快晴と向日葵の組み合わせですね。

 

飛行機雲を再登場させる

一本の飛行機雲にもう一本の飛行機雲が近づいていきます。あんずの手にはビニール傘。これまでの描写では代替モチーフと人物の表情はほぼ共存させていませんでしたが、このシーンで初めて両方の要素で訴えかけます。

 

紅葉の花言葉に物語の結末を代読させる

「紅葉」が舞うシーンが描写されます。ウラシマトンネルで異質な雰囲気を担っていた紅葉ですが、花言葉本来の意味をのせています。紅葉の花言葉は「美しい変化」「大切な思い出」です。田口監督の最後のメッセージですね。

ビニール傘、天気雨、紅葉、ウラシマトンネルをワンカットに共存させることで、あんずの「取り戻せたんじゃないかな」という台詞に込められた意味を補強しています。

 

あとがき

最初から最後までずっと素敵な作品でした。一生記憶に残る作品です。夏のおわりに毎年思い出すんだと思うと、なんだか今から来年の夏が楽しみです。

一瞬もスクリーンの外に意識が戻ることなく完全に世界観に没入していましたね⋯。

そういえば、そろそろ特典小説が原作小説の厚さに迫ってきました。

八目迷先生の次回作の舞台は冬かなぁとぼんやり楽しみにしながら、夏トンをまた観に行こうと思います。

 

(補遺)当初公開していた記事を非公開にした理由につきまして

公開中に映画を見た感想をシナリオに沿って記載してしまうと、作品を多くの方に見てもらいたい気持ちとは裏腹に、本ブログがスクリーンで本作を見る機会を奪いかねません。きっと夏トンはロングラン上映になると思います。僕の別記事はその後にこっそり載せようと思います。

 

ではでは、ここまでお付き合いいただきありがとうございました!

 

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ぜひ八目迷 / 映画・夏トン上映中 (@hatimokumei) / Twitter先生の本作も、本作以外も読んでいただきたいです。

amazonでも販売されてます。素敵な表紙絵は、くっか (@hamukukka) / Twitter さん。

 

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 (注釈)

掲載している画像は全て公式サイト、公式Youtube、公式Twitterから転載したものになります。全ての掲載画像は著作元に帰属し、著作元から当記事の削除依頼があった場合はこれに従い速やかに削除することをここに明記いたします。(2022/09/21)